
アメリカではゲートコミュニティと呼ばれ、80年代からつくられ始めて現在では約5万ヶ所あると聞いています。でもここ日本ではあまり見られず、その大きな理由は建築法上の違いにあります。日本では基本的には1つの敷地に1つの建物しか建てられず、しかもその敷地は必ず道路に接していなくてはなりません。当然道路はゲートで封鎖することはできませんから、一般的にセキュリティというと建物そのものにかけるスタイルになるわけです。ところが、グローリオ蘆花公園の場合は一団地申請をすることによって、一つの敷地の中での分棟配置が可能となりました。分棟にしたのは、1軒ごとに光や風を感じられるよりよい居住環境をと考えたからです。そして結果的に10棟構成になりましたので、ひとつの街が形成できるのかな、ということで呼び名を“ゲーティッドタウン”としたのです。敷地内にはグリーンコリドーと呼ばれる通り道がありますが、それは道路でなく通路、ということですね。すでに大規模マンションで敷地全体にセンサーによるセキュリティをかけるというのは珍しいことではないのですが、分棟型マンションで採用されるという点で、各方面からは大きな注目を集めています。」
マスタープラン 敷地配置完成予想図
掲載の完成予想図は、図面を基に描き起こしたもので実際とは異なります。
――アメリカでは周囲を高い塀で囲み、ゲートには銃を持った守衛が立つというのが一般的なゲートコミュニティのあり方のようですが、それとの明確な違いは何でしょう。
「銃社会のアメリカでは、どうしても人を拒否するというイメージになりますが、我々が考えているのは決して外部と縁を切るというものではありません。セキュリティは、南北2箇所のゲートとフェンスセンサーや防犯カメラでより安心度を高めていますが、視線を遮るような高い塀を巡らして地域の景観を損ねるようなことは決してなく、周りを囲むのはフェンスと生け垣です。緑に対しては非常に気を配っており、全体で3,000本近くの樹木を植える予定ですが、外部の方から見て借景とまでは言わないまでもとても目に優しいつくりになるはずです。そしてもっとも大きな違いは、グローリオ蘆花公園が地域の方々との交流も大事にし、調和を図るという考え方をしている点です。例えば、居住者の集会場となるコミュニティハウスは、予約制で近隣の方にも自由にお使いいただけるようになっています。こちらは耐震等級3相当という高い耐震性能で設計され、災害時には地域の防災拠点ともなります。さらに防災倉庫を備え、災害時にインフラが止まった場合に備えた緊急浄化装置やマンホールトイレ、非常用発電機といった細かな準備をも行っております。」
――つまり、従来のゲートコミュニティとは異なる、新しい日本的な発想によるものがゲーティッドタウンというわけですね。
「そうです。安心・安全の確保は建物の構造やセンサーや防犯カメラといったハードの部分だけではなく、我々は将来にわたっていざという時に対応できるソフト面の充実にも力を入れています。そのひとつが居住者の方への健康維持対策です。提携している久我山病院の医師、看護師さんによる定期的な健康相談をマンション内で無料で実施するほか、緊急の場合に少しでも早い対応が可能となるよう入居時に健康診断を斡旋し(20歳以上の方対象)、カルテを作っていただくことにしています。この健康診断の費用は事業主もちです。安心を得るための“護る”というシステムを、我々はこうして広い範囲にわたって考えているのです。」
――個人における危機管理をデベロッパー側で構築し提供していき、マンション引き渡し後も末永く居住者とかかわっていくという、これまでにないまさに画期的な取り組みと言えますね。
「企業で今、BCP(ビジネスコンティニュイティプラン)と呼ばれる事業継続計画が重視されるようになっていますが、これは事業の継続に影響を及ぼす恐れのある被害の未然防止策と被害が発生した場合の対応策をあらかじめ取り決めておくというものです。それを個人の毎日の生活としてとらえたとき、高い耐震性能、防犯対策により安全性を高めた建物に住まい、災害対策機能を備え、さらに入居者一人ひとりの健康面における備えも行っていく。ですから呼び名としては、ビジネスをライフに変え、LCP(ライフコンティニュイティプラン)と言っていいかなと思っています。それはズバリ“スペシャルサイト”という、グローリオ蘆花公園のコンセプトにもつながっていくわけです。」
蘆花恒春園
――他にはない高い安心感は、この土地に対する愛着をも深めることになりそうですね。
「そうなるとよいですね。私は芦花公園(蘆花恒春園)なる名称のもとになった明治・大正期の小説家・徳富蘆花についても調べました。蘆花はロシアの文豪・トルストイに心酔し、直接彼に会いに行き、そこで彼の影響を大きく受けて、自然との共生を目指し、農業をしながら作家活動をすることを決意しました。帰国後さっそく手に入れた土地が北多摩郡千歳村粕谷。これが現在蘆花恒春園の場所で、この地で畑仕事に打ち込み、いわゆる“晴耕雨読”をしながら作家として生きたという話です。蘆花恒春園はモデルルームから5分とかからない場所にあり、今では1万m²を越える立派な公園となって、家屋は東京都の史跡指定も受けています。モデルルームと合わせこちらにも是非一度お立ち寄りいただき、周辺環境を知る手がかりにしていただけたらと思います。」
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